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仰木彬氏逝去

オリックス前監督で同球団シニアアドバイザーの仰木彬(おおぎあきら)氏が肺ガンで逝去された。享年70歳であった。

福岡・東筑高卒、1954年西鉄ライオンズに投手で入団。その後内野手に転向。1967年引退。その後、西鉄や近鉄でコーチを務める。

1988年前年最下位の岡本伊三美氏の後を受けて近鉄監督に抜擢。その年いきなり優勝争いを繰り広げ、「10・19」ダブルヘッダー無念の引分けでゲーム差なしの2位。翌年は新入団した野茂英雄が18勝の活躍。黄金期の西武ライオンズを下してパ・リーグ優勝を果たす。その後1992年まで監督を務めるが、Aクラスを維持する。

近鉄退任後の1994年からは同じ在阪オリックス・ブルーウェーブ監督を務め、イチローを見出し、1995年の阪神大震災の時には「がんばろう神戸」をキャッチフレーズに掲げてリーグ優勝。1996年には念願の日本シリーズで巨人を倒して日本一となった。その采配は「仰木マジック」と称えられた。

2001年に同球団監督を退任。2004年には野球殿堂入りを果たした。今年、近鉄と統合したオリックス・バファローズ初代監督に就任し。Aクラス争いを繰り広げたが、9月に体調不安を理由に監督を勇退。同球団のシニアアドバイザーに就任していた。

監督通算成績は勝利数歴代12位の988勝815敗53分。

野茂やイチローがここまで成長した大きな一因は、仰木さんとの出会いにあったと言っても過言ではない。その方針は、選手の能力を尊重し、選手の長所を伸ばしていく「のびのび」野球にあったように感じる。オールスター戦で松井秀喜の打席にイチローを登板させ、野村監督が代打に高津を送る。今となってはいずれもビッグネームだが、こんな洒落のある監督さんだった。プロ野球界は、大きな個性を失ってしまった感じがする。

心よりご冥福をお祈りいたします。
のなか通信管理人 * のなかの野球日記 * 23:35 * - * trackbacks(3) * pookmark

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さようなら、仰木さん

オリックス・バファローズの前監督の仰木彬氏が、昨日亡くなられました。
From Vivid Association @ 2005/12/16 4:19 PM

頼む。。。「うそや」と言ってくれ・・・(涙)

今しがた「忘年会」から引き上げて パソコンを立ち上げてただただ絶句です。。。 近鉄・オリックスを率いてた「名監督」の 仰木彬さんが15日 福岡県内の病院で亡くなられました。 70歳でした。 仰木さんは近鉄とオリックスで監督を歴任。 88年の「10
From 新「とっつあん通信」 @ 2005/12/20 1:27 AM

不覚にも泣いた

『日々日常』本サイト 人気blogランキングへ 昨日、オリックス故仰木監督の追悼番組での田口壮の言葉に思わず泣いた。 平成7年1月17日午前5時46分52秒、神戸を中心とした阪神地域に直下型大地震が起こった。 避難人数30万人 死者6,433人
From 『日々日常』〜ブログページ @ 2005/12/27 4:18 PM
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