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世界の七不思議

「新・世界七不思議」の発表式典がポルトガルのリスボンであったそうです。2006年10月に選出された21の候補地から電話やインターネットなどで1億人が投票して選ばれた結果が以下の通りです。

・チチェン・イツァのピラミッド(メキシコ) A.D.300〜A.D.900
・イエス・キリスト像(ブラジル) A.D.1931
・万里の長城(中国) B.C.600ごろ〜A.D.1600ごろ
・マチュ・ピチュ(ペルー) A.D.1440ごろ
・ペトラ(ヨルダン) B.C.1200ごろ
・コロッセオ(イタリア) A.D.75ごろ
・タージ・マハル(インド) A.D.1653


これを見て個人的には疑問符がたっぷりです。今回わざわざ「新」と銘打っているにもかかわらず、一般的な中世の世界の七不思議でも選ばれている「万里の長城」や「コロッセオ」がまた選ばれていることが最大の要因。それに選出自体に柱が通っていないのも悲しいところです。また、偏見かもしれませんが、ここにもBRICs諸国の台頭がチラチラ見えている気がします。

参考までに一般的に人口に膾炙されている「中世の世界の七不思議」と「古代の世界の七不思議」をここに示しますが、各々を見ると殆どがその選出時期からやや前の時代を見た場合の不思議ばかりです。

【古代の世界の七不思議】
・ギザの大ピラミッド(エジプト) B.C.2600ごろ
・バビロンの空中庭園(イラク) B.C.600ごろ
・エフェソスのアルテミス神殿(トルコ) B.C.550ごろ
・オリンピアのゼウス像(ギリシア) B.C.435ごろ
・ハリカルナッソスのマウソロス霊廟(トルコ) B.C.350ごろ
・ロードス島の巨像(ギリシア) B.C.285ごろ
・アレクサンドリアの大灯台(エジプト) B.C.330ごろ


【中世の世界の七不思議】
・ローマのコロッセウム(イタリア) A.D.75ごろ
・アレクサンドリアのカタコンベ(エジプト) A.D.100ごろ
・万里の長城(中国) B.C.600ごろ〜A.D.1600ごろ
・ストーンヘンジ(イギリス) B.C.3100ごろ〜B.C.2000ごろ
・ピサの斜塔(イタリア) A.D.1173(竣工時には垂直)
・南京の陶塔(中国) A.D.1400ごろ
・イスタンブールの聖ソフィア大聖堂(トルコ) A.D.500ごろ


これらを踏まえて、私なりに20世紀の世界の七不思議を選んでみました。

【20世紀の世界の七不思議(野中版)】
・パナマ運河(パナマ) A.D.1914〜

 太平洋側と大西洋側の水位差を克服した閘門
・アスワン・ハイ・ダム(エジプト) A.D.1970〜
 長年の課題であったナイル川の治水をもたらした
・ユーロトンネル(英仏海峡トンネル) A.D.1994〜
 ブリテン島をユーラシアに繋げてヨーロッパを一つにしたトンネル
・原子力潜水艦(世界各国) A.D.1954〜
 無補給で潜水したまま世界一周ができる船
・ジャンボジェット機(世界各国) A.D.1969〜
 500人以上の人を乗せて飛ぶことのできる巨大ジェット旅客機
・月面(にあるはず)のアポロ11号着陸船の脚部(月面) A.D.1969
 月という人類未踏の地への一歩
・インターネット網(世界各国) A.D.1969〜
 世界中の人がリアルタイムで共通認識や意思疎通が図ることが可能な通信網
【次点候補】
・新幹線(日本) A.D.1964〜

 世界初の高速大量輸送鉄道、鉄道の価値を再発掘
・テレビ放送
・核兵器
・ベルリンの壁


こんな感じですがどうでしょうか。皆さんも何かのポリシーを持って七不思議を選んでみると、結構楽しいですよ。



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のなか通信管理人 * +歴史探訪記 * 23:59 * comments(0) * trackbacks(4) * pookmark

征夷大将軍・坂上田村麻呂の墓

坂上田村麻呂は平安時代初期の武人。征夷大将軍に任命され、西暦801年に当時敵対していた蝦夷を討って降し、802年に胆沢城、803年に志波城を築くなど東北地方経営において大きな足跡を残しました。

この功によって政治家としても昇進し、参議・中納言・右近衛大将を歴任、この間京都の清水寺を創建したとの説もあり、810年には大納言になりました。翌年54才で逝去し、死後従二位を贈られ、山城国宇治郡七条咋田西里栗栖村に葬られました。

今回、この葬られた墓を京都大大学院文学研究科の吉川真司・准教授が文献調査で「西野山古墓」と特定したそうです。これは田村麻呂が創建したとされている清水寺に残る「清水寺縁起」に墓の位置が記されていたそうで、地道な資料調査が実を結んだという好例でしょう。

早速、Google Earth(N34°58° 42″、E135°47′ 31″)で飛んでいきましたが、残念ながら上空からは遺跡という感じではなく、森でした(笑)。

場所的は東海道の京都へ入る辺りに位置しており、死んでも東夷から都を守護させられている田村麻呂の辟易した表情が想像に堅くありませんね。


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のなか通信管理人 * +歴史探訪記 * 23:48 * comments(0) * trackbacks(0) * pookmark

入鹿の屋敷跡?から石垣出土

奈良県明日香村にある甘樫丘の東麓で、新たに石垣や柱建物跡7棟などの遺構が見つかったそうです。今回の調査区域は、2005年の発掘現場に隣接しており、甘樫丘自体が蘇我氏の根拠地であった可能性がさらに一段と高まりました。

遺構はII期に分かれており、I期はおよそ600〜650年代。河原石を積んだ南北約15m、高さ約1mの石垣や塀、建物跡がこれにあたります。またその後のII期はおよそ640〜680年代。I期の石垣を埋めて整地された跡がみられ、中小規模の建物が数回建て直された跡や石敷き跡などが見られたそうです。

石垣という技術が当時どれほど高度な技術であったかということと、開明派の蘇我氏の屋敷が石垣であったことなどより、天皇をしのぐと言われた蘇我氏の隆盛と「乙巳の変」を裏付ける大きな材料になるのではないでしょうか。

ちょっと予備知識を。
「乙巳の変」とは、西暦645年、中大兄皇子・中臣鎌足らが宮中にて蘇我入鹿を誅し、即日父の蝦夷を甘樫丘の邸宅を襲って自害させた事件。これを機に最初の元号となる「大化」が定められ、天皇中心の国家造りを試みる数々の施策を我々は「大化の改新」と呼んでいます。

歴史好きで城郭好きの私としては、関心大です。日本城郭の歴史が朝鮮式城郭に繋がることと、朝鮮半島情勢に明るかった蘇我氏の屋敷から石垣が出土したことは、なんとなくどこかで繋がっているような気がします。素人ながらこんな風に考えることが楽しく、歴史のロマンを感じるというものなのです。


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のなか通信管理人 * +歴史探訪記 * 23:48 * comments(0) * trackbacks(0) * pookmark

飛鳥の京は宝の山

奈良県明日香村にある甘樫丘の東麓で、建物5棟や塀などの遺構が見つかった。今回遺構が発掘された現場の東南20メートルの地点では、1994年に焼けた木材や土などが出土している。地域的にも蘇我蝦夷・入鹿父子の本拠地とされている甘樫の丘と一致しており、古代史の解明に向けて大きな発見となる可能性を秘めている。

欽明天皇・推古天皇下で開明派の大臣として頭角を現し、また天皇家の外戚として無類の権勢を振るっていた蘇我氏。次第に天皇家をも上回る専横の振る舞いを強めていた西暦645年、中大兄皇子・中臣鎌足らが宮中にて蘇我入鹿を誅し、即日父の蝦夷を甘樫丘の邸宅を襲って自害させた「乙巳の変」が起こる。これを機に最初の元号となる「大化」が定められ、天皇中心の国家造りを試みる数々の施策を我々は「大化の改新」と呼んでいる。

その時代の遺構と言うことで歴史大好きの私も興味津々。ただ蘇我氏滅亡後である7世紀後半の土器や整地跡も見っており、即ち入鹿と断定するにはまだ早いようだ。「大化の改新」前夜の出来事などは、後世の「日本書紀」などに記録された書物の中の存在であった。個人的には「なんとなくあったのだろう」的な漠然とした飛鳥時代が、「確かにここにあった」という確証が改めて持てたような気がする。

遺跡の発掘と言うのはそれ自身に矛盾を抱えている。後年になればなるほど、年代の特定方法の精度などが進化し様々な事象が判明するようになっていく。それでも、どこかの時点で調査をし、その情報を後世に伝えていかねばならない。そんなことも踏まえつつ、大切な遺跡なので、慎重に発掘を進めてもらいたいものだ。
のなか通信管理人 * +歴史探訪記 * 21:58 * - * trackbacks(2) * pookmark
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